霊長類最弱ドクターの開業ダイアリー by Dr. Olive③
「父のがん闘病で無力を感じ、ハイパー総合病院勤務を目指す」
精神科開業医のOliveです。
「霊長類最弱」と呼ばれる私が、子育てしながら週に3日だけ開業するまでをお届けしています。
卒業後は、結局出身大学ではない大学の精神科に入局した。
私の出身大学は地方の新設のため、関連病院も少ない印象があり、近隣県で一番大きい医局を選んだ。
精神科の医局はとても居心地がよかった。
医局が行う研修プログラム、きめ細かな指導をして下さる指導医。
プライベートでも医局の皆と仲良くとても充実していたが、わずか3か月で関連病院に出ることになった。
次の赴任先は人口12万ほどの小さな町の単科精神科病院で、結局そこで2年勤務した。
その間に、私の父ががんで亡くなった。
もともと大酒家で毎晩飲みに出歩いていたし、タバコはハイライトを1日2箱も吸っていたし、とにかく不摂生の塊だった。
そんな父がけいれんを起こし、救急搬送先で「転移性脳腫瘍、肺がんです」と言われても、ついにきたかという気分であった。
不思議なもので、あれだけ「いつがんになってもおかしくない」と思っていた父のことでも、DNARの説明を聞いた時「ちょっと待ってください」と言ったのは母ではなく自分であった。
親はずっといるもので、自分が実家に帰れば父は寝そべってテレビをみているはずなんだ、とまだ思いたかったのだと思う。自分が結婚もしないうちに親が死ぬとは、思ってもみなかった。
でも最終的には、説明を聞いたその日にDNARに同意した。
患者の死を目前にして動揺する家族の気持ちは、今でも痛いほどよくわかる。
父の好きだったうどん屋のうどんを病室に持って行った時に「この味が食べたかった」と笑ってくれたのが忘れられない。
父は3か月の闘病であっけなく亡くなった。
55才だった。
自分はまだまだ子供だと思っていたが、憔悴した母の代わりに喪主をし、父の経営していた会社の整理を手伝い、父の思いがけない過去が露呈して大騒ぎしている間に、少しだけ大人になった気がした。
それと共に、単科精神科病院の経験だけでは、父に対しても家族に対しても何もできなかったという無力感が残った。
その後、私は身体疾患が少しでも診られる経験を積みたいと思い、関連病院の中でもハードな総合病院へ希望を出し、異動となった。
だが次の勤務先は、私の体力的にも気力的にもなかなかの試練なのであった。
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