Dr.Mosuが役に立たないことを不定期にこっそりつぶやいています。
久しぶりに自分の専門分野の全国会に行った。
勤務先では特に学会出張に制限はないけれど、発表なしなので気はひける。
おまけに学会シーズンで人手も少ないので、午前の外来を済ませてからの出発だった。
それでも、昼頃勤務先を出る頃には高揚感で脈拍が上がった。
大学を離れ、基幹病院を離れ、数年経った。
専門医を維持してはいるけど、情報をアップデートする必要すら感じる機会は少ない。
私はまだ世の中の流れを追える?
そもそも一人で飛行機に乗るのすら10年ぶりくらいで、社会人としてイケるかさえ怪しいけど。
助手席や後部座席にも誰もいないと、高速道路もゲームみたいで楽しい。
色づいた木の葉が降りかかり、それを巻き上げながらすっ飛ばすのも爽快だった。
さて、肝心の学術活動。
今回は実質半日ちょっとの学会参加なので、目的を絞らないとウロウロして終わってしまう。女性医師のキャリア支援とSNSの活用をテーマにしたシンポジウムには絶対参加すると決めていた。
その基調講演として、マレーシアの女性の医学博士が招聘されていた。消化器内科に進む女性医師をどう支援するのか?という内容だった。
こういうテーマの基調講演は人があまり入らないものだろうけど、ちょっと演者に申し訳なくなるくらいガラガラだった。座長が登壇するタイミングになっても、次シンポジウムの出演者くらいしか会場に入ってこない。
なぜかいたたまれなさに押されてど真ん中の前方に座ってしまった私は、早くも後悔していた。
…よほど英語に自信があるか演者に興味があると思われて、座長に指名されたりしたらどうするつもりなんだろう。とりあえずなんか言えるように一応準備くらいはしておかないと…。
幸いなことに時間も押せ押せだったので(残り時間1分になったところから、オリンピックの開会式並みに感動的なイメージ動画を流されたりしていたので)、私の心配は杞憂に終わった。
意外なことに、シンポジウムとのおまけ(本当にすみません)くらいに思っていた基調講演に私は結構ショックを受けた。
そもそもの前提として、消化器内科は女性が進みづらい分野という認識自体を持っていなかった。日本の女性ドクターにそういう共通認識ってありましたっけ?
言われてみればいちいちその通りで、大体自分が感じてきたことばかり。長時間間勤務、フィジカル的にキツイ、デバイスが女性向けに造られていない。
その通りなんだけど、そんなことテーマとして取り上げられたことないし、医師になる以上当たり前のゲームのルールだと思ってたし。
あと、女性の医療アクセスがそもそも悪いから、女性ドクターの中途離職が深刻視されてない。
男性ドクターは女性ドクターの参入を拒む存在ではない、ワンチームで取り組むべし。
そんな内容の講演だった、たぶん(私の英語力に多大な障壁があるためです)。
最大のショックは、日本の女性医師ががマレーシアやインドネシアやインドと同列な位置にいることだった。いろんな方面に失礼かも知れないけれど、宗教や社会階層による縛りがきつくて女性の進出が進んでいるイメージがなかった。大学にいた時も、見学に来る女性は髪を隠した方ばかりで、寮には引率の実父達が控え自国の男性と決して同道しなかったし…
日本は先進国だから、努力すれば性差のないステージにいられると念じていた時代は、性差の話を真正面から聞くのは嫌悪感があった。
そして今、性差の話に足を突っ込むのはやっぱり怖い。
学会って楽しいけどやっぱりしんどい。
仕事の中で自分の軸を捉えている人を見ると、憧れが芽生える。
人前に出るのが最悪に苦手なのに、自分もギンギンに輝いてみたいと感じたりする。
高揚し、自分も何かを出したい、形にしたいという気持ちが高まる。
今の自分に気づいて、子持ちになろうが非常勤になろうが今のままではいられないことに気づく。
どんどんハードルが出てくるし、まだ何かになろうとしていることが分不相応な野心に思えて心細くなる。
でも知っている。
研究や臨床や後輩の育成に邁進し、スーツの胸元もバシッと決まってキラキラしているドクター達は、駄菓子に毛の生えたような軽食を喰いながら日々の業務に耐え、ここに来ている。そして地元に戻ってからは、学会出張による不在を埋め戻さなくてはならない。
それに気づいてしまった。
今の自分を支えているモチベーションは、医療や医学よりも、医療者への愛と関心に向いている。認めてしまった以上進むよりほかない。
仲間もできた。
渦巻くモヤモヤを圧縮して形になるまで悩んだ成果だ、泥臭いことを恥じるのはもうやめよう。
そんなことを考えながら夜の高速をまた一人で走る。
一晩留守にしただけなのに秋が急に深まって月が白い。
とりあえず今は早く子供の隣に滑り込んで、また圧縮されながら寝たいと思った。
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